旅の栞(ドロミテ・チロル)

7月28日

ハイリゲンブルート (散策) ~ フランツ・ヨーゼフ・ヘーエ展望台 ~ ザルツブルグ (宿泊)



ドッビアーコ湖 [Lago di Dobbiaco] (8:59)
標高1259m、最大深度3.5m、周囲約4.5kmで、イタリアの南チロル州 Dobbiaco 市にある湖。
ドッビアーコ湖 [Lago di Dobbiaco] (8:59)
天気が良ければ、絶景を望めるスポット。
ドッビアーコ湖 [Lago di Dobbiaco] (8:59)
ドッビアーコ湖 [Lago di Dobbiaco] (8:59)
ドッビアーコ湖 [Lago di Dobbiaco] (9:03)
ハイゲンブルート [Heiligenblut] (11:09)
HeiligenblutのHeiligenは聖人を意味し、blutは血を意味する。 所謂、聖血 (キリストが流した血) を意味している。 村の名前は、この "Heiligenblut" に因んで付けられている。
ハイゲンブルート [Heiligenblut] (11:09)
ハイゲンブルート [Heiligenblut] (11:11)
ヴィンツェンツ教会 [St. Vinzenz] (11:13)
ハイゲンブルート [Heiligenblut] (11:17)
ハイゲンブルート [Heiligenblut] (11:20)
ヴィンツェンツ教会 [St. Vinzenz] (11:26)
(11:26)
(11:29)
(11:29)
ヴィンツェンツ教会 [St. Vinzenz] (11:30)
伝説によると、ブリクティウス (Briktius、Brictius=フレデリック) はデンマークの王子で、コンスタンティノープル (現在のイスタンブール) のビザンチン宮廷で高い地位を占めていた。 ある日、冒涜された十字架から血が流れ出したとき、皇帝はそれを遺物として彼に与えた。 ブリクティウスは、故郷に戻る途中、貴重な贈り物を泥棒から守るために、自らの手で聖血の入った瓶をふくらはぎに巻き付けたことに由来している。 西暦 914年、彼は故郷に戻る途中、アルプスを越えて現在のハイリゲンブルートに来たとき雪崩に遭い埋もれてしまった。 その雪の中から麦の穂が3本生えてきて、その場所で遺体が発見された。(この小麦の穂は、今日、町の紋章に描かれている)
 農民たちは彼を埋葬しようとしたが、彼の右足だけは地上に留まろうとして、なかなか埋葬出来なかった。 そこで呼び出された最後の司教は、地上に突き出た足に聖血の入った小瓶が隠されているのを発見した。 この出来事が村民の心を動かし、聖遺物とブリクティウスのためにハイリゲンブルートに礼拝堂が建てられた。 この礼拝堂は 1253 年の文書で初めて言及されている。 この礼拝堂は1273年に改修され、その後、14 世紀に現在の教区教会に置き換えられた。 この教会は 1491 年に完成し、聖遺物は高さ 13 メートルの白い聖櫃 (写真左の壁際) に保管されており、ブリクティウスの遺骨は地下室に眠っている。

尚、ハイリゲンブルートによる、ブリクティウスの列聖請求は証拠が不十分なため承認されなかったが、彼はハイリゲンブルートにとって、嘗て無い神聖なものとして崇められている。
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ブリクティウスの墓 [GrabBrictius' Grab] (11:34)
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